アイデンティティデザインとは

Waht's identity design?

事業主idetity=企業identityを実現することで各々の自己が確立され、

事業主と企業の同一性によるデザインは、identity designとなります。

identityとの遭遇

あなたはidentityと遭遇したことがあるだろうか。

このように質問するとidentityとは誰のことかと逆に問い返されるかもしれない。

identityとはあなた自身のことである。

identityとは誰のことかと逆に問い返されるかもしれない。

もちろんidentityとは、あなた自身のことである。

実際、identityに会ったことのない人は多い。

だから多くの人は、identityを探しに旅に出る。

しかしidentityは、どこにもいない事に気がつく。

なぜならばidentityはあなたの内部にいるからである。

だからidentityに会うことは可能なのだ。

実際にidentityに会ってみると大抵の人は驚く。

identityは想像していたものとは違うからだ。

あなたがidentityに会うと自己同一性が確立される。

そしてそれは、あなたにself-realizationをもたらす。

一度identityに出会うと、それはいつも自分と共に存在していることに気がつく。

そしてidentityこそが在りのままの自分なのだということに思いいたるのである。

identityは、sublimnalな領域にいるがなにかのきっかけでconsciousnessの表面に出てくることがある。

もし あなたがidentityに出会えたのならば、あなたはhappyだといえる。

一生出会えない人もいるからだ。

identityとの出会いをきっかけに人は変わる。

その人本来の姿、在りのままの自分にもどるからだ。

あなたはidentityに出会えただろうか。

まだ出会わないのならばidentityを探してみるといい。

いつか必ず出会える。

なぜならばidentityは、あなたの内部に必ず存在しているからだ。

あなたのidentityとの出会いをサポートするのが私たちのミッションだ。

identityの開発

identityとは自己同一性。

私と自己は同一なのだ。

”同じ一つのもの”という意味

同じものは2つとなく、ただ1つしかない。

例えば 

2つの合同な三角形が在るとする。
それを △ABCと△DEFとしよう。

すると △ABC≡△DEF となるが、この2つの三角形は同一ではない。

合同とは、2つの図形がぴったりと重なることであり、

同じ図形だという意味ではない。

合同な2つの三角形は同じではない。

何が違うのか。

それは位置(位相)である。

位置が一致する2つの合同な三角形は同一だ。

そのとき △ABC=△DEF となる。

“合同≡”と“同一=”の違いが分かるだろうか。

たとえ あなたと合同な人間が存在しているとしても、

あなたと同一なる人間はあなたの他に存在しない。

もし存在しているならば 

あなたと位置が同じためにあなたに完全に重なってしまうからである。

それが存在物の自己同一性である。

現実の世界においては、実存する対象の内部でidentityとは自己同一性。

私と自己は同一なのだ。

同一とは何か。

文字が語る通りそれは“同じ一つのもの”という意味である。

同じものは2つとなく ただ1つしかない。

例えば、2つの合同な三角形が在るとする。

それを △ABCと△DEFとしよう。

すると △ABC≡△DEF となるが、この2つの三角形は同一ではない。

合同とは 2つの図形がぴったりと重なることであり同じ図形だという意味ではない。

合同な2つの三角形は同じではない。

何が違うのか。

それは位置(位相)である。

位置が一致する2つの合同な三角形は同一だ。

そのとき △ABC=△DEF となる。

“合同≡”と“同一=”の違いが分かるだろうか。

たとえ あなたと合同な人間が存在しているとしても、

あなたと同一なる人間は、あなたの他に存在しない。

もし存在しているならば、あなたと位置が同じために

あなたに完全に重なってしまうからである。

それが存在物の自己同一性である。

現実の世界においては、実存する対象の内部で自己同一性の原理が働いている。

それ故に“存在”が可能になる

もし この原理が破綻するならば、

この世界において“存在”は成立しなくなるだろう。

存在律は働かなくなり存在物は消滅する。

そして世界は終わる。

生物体は、生体の内部で自己同一性が保たれていれば生命はそこに成立し続けることができる。

自己同一性が破られたとき生物として存在できなくなる。

生物体は自己の輪郭を失ってしまうのだ。

そして原子と分子へと崩壊していく。

私たち生物体は、否応なしに自己同一性を保持している。

自己を知れば、identityを知ったことになる。

ところが自己を知る事ほど至難なことはない。

なぜならば誰もが自己であるからだ。

自己である限り、自己を知ることはできない。

自己を知るには、自己から離れなければならない。

自己を外側から対象化して客観的に見なければならない。

これは極めて高度な意識作業であり知的に進化した生命体にしかできないことだ。

わたしは、あなたの自己と離れているが故に 

わたしには、あなたのidentityがはっきりと見える。

あなたは自分のことを本当に知っているだろうか。

自分のidentityを理解しているだろうか。

答えはNOだろう。

だからといって憂慮しなくてもいい。

誰もがNOだからだ。

自己を知らないのは、あなただけではない。

私たちは自己を知らないまま生きている。

知らなくてもよいのだ。

知る必要も別段ない。

しかし知る理由は確かにある。

知ることによって数段上昇できるからだ。

知るにはどうすればよいのか。

まずは自己の存在に気付くことだ。

自己の存在に気付かなければ、それを知ることはできない。

まだあなたが自己の存在に気付いていないのならば

あなたの内部をよく見てみることだ。

内部の暗闇の中に佇んでいる自己の姿が見えないだろうか。

それがあなたの自己である。

自己とは私であり、その者は自己ではないとあなたは言うかもしれない。

しかし、その者とあなた(自己)とは同一の存在なのだ。

それが自己同一性identityなのである。

その者とあなたが同一の存在だと気づいたのならば、あなたは自己の存在に気付いたことになる。

そしてその者に自己を重ねてみるのだ。

そこからidentityは開発されていく。

identityに目覚める

自己の中に他者がいる→自己同一性が成立していないと自覚されている方へ

identity(自己同一性)という概念は、エリクソンによって人間の精神現象の中に見出され、それを理論化されたものです。

すでにこの言葉は汎用化され、一般語として日常の会話の中でも用いられています。

identityは人間精神の中に2つあるいは複数の対象の存在を前提に語られています。

本来 1つであるべきものが複数個存在することの病理性が問題として取り上げられているのです。

なぜ、自己は1つでなければならないのでしょうか。

それは各人間が物質的な個体として存在しているからです。

個としての存在の人間にとって自己は複数個あってはならないのです。

identityの不一致に苦しむ人(特に青少年)は多いといえます。

自分でそれを認識していないケースもあります。

自己が分裂を起こしているにも関わらずそれに気がつかずにいる人がいるのです。

かなり症状が進展した段階で事態の重大さに気づき、

にっちもさっちもいかなくなることもあります。

自己の精神の内部に2つの対象を見出せるのは自分だけであり、

第三者はその人の言動から客観的に分析していく以外に2つの対象の存在を知る方法はありません。

それは自己とは物質のような目に見える存在ではないからです。

目に見えないものの存在性を肯定することによって私たちの思考範囲は拡大します。

“存在”とは哲学の概念です。

私たちはものが在る、無い、という言い方で日常的思考の中に取り入れています。

存在論とは哲学上の究極の課題になっているわけですが、

まずは世界の存在を自然に受け入れることで自己の存在を是認することが重要になってくるのです。

自己は物質という個体の形で在るがゆえにその存在性は明らかです。

しかし精神的自己の存在性は認めてよいのか、人間は発達段階で悩むのです。

今の私は本当の私なのか、本来の私は異なるのではないかと、迷い悩むのです。

しかしながら人は成長するに従って自己を認めるようになり自己は統合されていくのです。

それでは“自己”とは先在的なものなのでしょうか。

それとも後になってから形成されるものなのでしょうか。

生後初期の頃、私たちは世界と一体化し、

確固とした自己は存在していなかったのではないでしょうか。

子どもの頃、世界と自分は繋がっていて同じもののように感じられてはいなかったでしょうか。

世界との分離感はなかったように思い出されます。

そのために世界のリアリティをダイレクトに受けとめていたのです。

自己が形成されるに従って世界との分離感は、強まり一体感はなくなってしまったのです。

これは自分を単なる物質的存在とは認識しなくなったことを意味しています。

自己は確立したものの世界との分離感は強まり、そのために孤独な感情はぬぐい去れなくなったのです。

identityの統合に失敗すると複数個の自己が内部に存在するようになります。

そしてどれが本当の自己なのかに思い悩まされます。

まるで自己の中に他者がいるようにも感じられてしまうのです。

複数個の自己が同時に話し出すと頭は混乱におちいり、収拾がつかなくなります。

これは脳の機能障害ではないかと考える向きもないとは言えませんが、

これほどまでに多数の人が脳に障害を起こすとは考えにくいのです。

 

 

複数の自己を1つに統合する方法はないものかと、

精神医学者はこれまで臨床研究を重ねてきました。

錯綜した精神は人間の思考活動に障害をもたらし正常な思考を妨げるがゆえに精神の複重性を解消し、

単一なる自己に到達することで、

人間は大きな精神的成長を遂げることが出来るのではないでしょうか。

現象する自己

現象としての自己こそが存在性を獲得している

宇宙は現象であるが故に宇宙には存在性が附与されている。

宇宙は私たちの周りの全てを内包している現象としての世界であるから、

このことを納得しない人はいないだろう。

宇宙が存在しないのならば、そこに内包されているあなたも存在しないことになるからである。

だから自己の存在を認めるのならば宇宙の存在は否定できない。

それでは、あなた自身は本当に存在しているのだろうか。

不安を招くようなことを問うたがどうか安心していただきたい。

現象としてのあなた自身は確かに世界に存在しているのを私はこの眼で確かめることが出来る。

それをあなたは自分の眼でも見ているので自分が世界に現象しているのを観測しているのである。

自己が世界に実存しているのをあなたは知っているのだ。

それでは、あなた自身の身体が透明で眼に見えなかったならば、あなたは世界に現象しているといえるだろうか。

私にはそれは確認できない。

あなたが世界に存在することを知るすべはないが、

あなた自身は自己が認識できるので自分が世界に存在していると認識するかもしれない。

しかし あなた自身の現象を世界に認めることが、

あなたにも出来ないのであるからそれは誤認といわざるを得ない。

現象しない自己は、世界に存在していないのである。

あなたが死を迎えて身体を失った時に、あなたはこのような境遇に見舞われるのかもしれない。

私にはあなたの存在を認識する事は出来ないが、あなたは世界に自己が存在していることを認められるのである。

しかし、あなたは現象出来ないが故にその客観的自己を世界の中に落とし込むことが出来ない。

ではその場合に存在していると考えられるものとは何なのだろうか。

それがidentityなのである。

Identityは現象ではないが故に永遠に存在し続けることができる。

これを逆に見るとある一個のidentityが身体を獲得して現象すると一人の人間になる。

だからidentityを持たない人など一人もいないのだ。

更に各人のidentityは全て異なるものであり、

うりふたつの双子といえども、そのidentityは一致しない。

あなたのコピー人間があなたのIP細胞から創られたとしても、

それは物体としてあなたと異なる個体であるから

(コピー人間なのだから、2体は同じ人間ではないか、と反論されるかもしれないが、あなたとコピー人間は、個体としてその存在する位置、正確には空間に存在する座標が異なる事から、それらは異なる位相を持った異なる人間なのである。)

それらに附与されるところのidentityも異なるわけだ。

あなたのコピー人間があなたと全く同じ位置に存在しているのならば、

それはあなたに完全に重なってしまうので独立した存在物ではなくなる。

また、あなたと少しでも異なる人間がいたのならば、

それはあなたと全く同じ座標を持っていたとしても、あなたと完全に重なることは出来ない。

それが現象としての自己の特徴である。

私たちはidentityの世界に生きている

私たちはidentityとともに各個体を有している。

各個体は物質的にひとつのまとまった情報系を成している。

個体とは情報の塊である

identityも個体ごとに定まっている情報系の一部と見なしてよいのかもしれない。

あるいは各個体ごとに体系化された情報系が全体としてidentityを形成しているのかもしれない。

たとえば地球という星には全体としてひとつの体系化された情報系が存在し、地球をひとつの有機生命体のように活動させている。

その中で私たちひとりひとりが1個の体系化された情報系を有して活動している。

私たちと地球との間に情報の階層化が行われていることはお分りだろう。

現在、私たち人間は各個人が地球の情報系列の枠組から飛び出してランダムに動き出し、地球情報システムを乱してしまっている。

私たち各個体と地球との関係の鎖がちぎれてしまっているのだ。

地球はひとつの有機情報系の体を成していないといえる。

人間が地球との関係を修復しない限り、

地球環境は破滅的状況へと突き進んでいくだろう。

現在の地球の危機的状況をどのようにとらえ理解するかによって

人類の命運は決定されるといっても過言ではない。

 私たちは生まれながらにしてそれぞれidentityを有している。

それは私たちが自分の力で獲得したものではなく、

地球あるいはもっと大きく宇宙から付与されたものだということを充分に認識すべきだ。

私たちは物心がついた頃からidentityの世界に生きるようになる。

私たちを取り巻く世界が地球からidentityの世界にとってかわられるのである。

私たちひとりひとりは各identityの世界(各個体を取り巻く球体のようにイメージしても構わない)

に生き、それぞれのidentityの世界は繋がって大きな一塊のidentity界を形成している。

私たちは個体の世界からidentityの世界へと移行するのである。

identityの決定要因

identityは何に因ってきまるのか?

生物の各個体には必ず一個、しかも唯一個のidentityが付与されている。

それは各個体が生来有しているのであって後天的に付与されたものではない。

それは各個体を特徴付けるものとしての個体の身体的形状特質と同等あるいは、それ以上の役割を担っている。

つまり、「だれそれという名前の個人」をidentityは、その個体の特徴以上に特定しているのである。

DNAが各個体の基本的な情報を記録していることからidentityはDNAとの高い相関性が考えられる。

identityの決定要因としてまずあげられるのがDNAである。

DNA上の情報がidentityを与えている可能性があるだろう。

DNAは究極の個人情報である。

identityを対象化して考えた場合、それも強力な個人情報なのである。

しかしidentityは客観的対象として認識されることは他者に対してであって、自己のidentityをそのように見ることは難しいだろう。

それを客観的対象として表現したものがidentity designなのだ。

identity design

自己のidentityを表現することには困難がつきまとう。

なぜならば自己のidentityは客観的にとらえることは至難の技だからである。

しかし他者の眼によってそれがとらえられ、表現として提示されると自己は自己を再認識することになる。

つまり私以外の私ではないことを改めて認識するものだ。

自己のidentityを強く感じることで自己はその存在性を強く際立たせるようになる。

自己は一点の星のように光り輝く存在となるのだ。

あなたのidentityをあなたの中に眠らせておくことはないのだ。

いわゆる”スター”と呼ばれる存在は、そのidentityが広く社会に受け入れられ際立っているのである。

自己のidetityは他者にはないものであるから、それは貴重なものであることは言うまでもない。

他者のidentityは、すでに他者が有している以上、自己にとっては価値の高いものではないのである。

自己を他者に同一化させても価値は無いのだ。

だからあなたのidentityは、あなただけに与えられた唯一無二の宝石だといえるだろう。

しかしそれは原石であり磨かなければ光り輝くかないものである。

まばゆい光を放つidentityを発見して磨くことが最も重要な行為となる。

夜空に輝く一個一個の星たちは、光によって私たちに何かの情報を伝達している。

光は波動であるから、光に情報をのせる事は実際可能なのだ。

ここまで来るとidentityの概念が当初とは変移してきていることにお気づきになるだろう。

初めは薄ぼんやりとしていて、とらえどころのないものであったidentityは、今や大きな存在性を獲得していることがお分りになるはずだ。

identity designが創り出す未来

Identityデザインを採用すると事業主と事業(ビジネス)はどのようにするのでしょうか。

驚くべき未来とは?

① 事業にする客視点から現の事業が鮮明になる

② 事業主のidentityが明らかになり本来の自己に目覚める。

③ 事業を生きがいとできるので人生と事業が両立できる

④ 会社が飛躍的に成長する

⑤ 事業の本当の目的が明確になり事業活動によって社会に貢献できる

⑥ デザインによって本当の事業目的が喚起される

⑦ 事業にイノベーションが起こり再生される

⑧ 新たなビジネスモデルを構築できる

⑨ 会社のidentityと事業主identityが一致することで経営のズレが無くなり事業主の努力が100%事業に反映される

⑩ 自己の内部にあるidentity客観的デザインとして可視化・客体化されるので明確に認識できる。さらに事業はフォーカスされ発展する

⑪ 事業が内包する環境的矛盾が解決され物事がクリヤーに見られるようになる

⑫ 企業の社会的役割が明確になることで社会におけるポジショニング(位置取り)を正確に行える

<備考>  

現在の延長線上にない想定外の未来を望まれるのでしたら、是非トライされて下さい。

しかし、いかなる未来が待ち受けていようとも、それこそが未来の姿なのだという事実を受け入れていただかなくてはなりません。

identity自体をデザインすることは可能なのか

自分で自分のidentityをデザインすることは大変困難なことだといわなければならない。

なぜならば自分のidentityは対象化して見ることができないからである。

もし、自分のidentityを自らの手でデザインするとすれば、それはidentityの内部から変成させていくしかないだろう。

だから自分のidentityをデザイン変成させることは他者の手に委ねるしか方法は無いのである。

人間の個体とそこに内包するidentityは、

一対一に対応しているが故に個体が異なればそこに付随しているidentityも異なってくる。

だからidentityをデザインする場合は、

他者の内に既に存在しているidentityに一致させることは不可能である。

identityをデザインするならばこの世界に存在しないidentityに変成させる必要がある。

個体の数は有限であり、identityの数は加算無限であるからそれは可能である。

自らの内に生まれながらに具わったidentityとは自分の手でどうにかできるような代物ではないのだ。

何か掴みどころのない漠然とした存在であるidentityを対象として明確に捉えて

そこに変成を加えることができるのは外部からの作用による他はないといえる。

外部的圧力や感情的圧力が加えられた場合、identityは変形、変容していくのである。

しかもidentityの変成は連続的ではなく離散的である。

自分の中からこれまでの自分(identity)が徐々に溶け出していくことが感じられることがある。

これがidentityの変成である。

identityの変成が起こると全く違う自分生まれ変わったかのように感じられるものだ。

identityとは生来各人固有に付与されたものであるが故に変型することは許されることではない。

各人は自己に帰属されたidentityを活かして生きていかなければならないからだ。

生来のidentityを曲げることは自分ではなくなるとこを意味している。

従ってidentityを変型させるとは実際には本来の原型に戻すことなのである。

それは現存のidentityを壊して新たにidentityを作り直すことではなく

各人固有のidentityの原型に戻すために少し作用を加えることで元々のidentityに生まれ変わらせる手法だ。

これはidentityの生成と呼べるかもしない。

identityを情報化しそれを人工知能が組込まれたロボットにインストールすると、

ロボットは一人の人間のような存在になるのだろうか。

identityが付与された人工知能は人間と同じように考え行動するだろうか。

現段階ではそれは神のみぞ知ると言わなければならない。

 当研究機構の目的はその解明に置くとし、

当面はidentityの情報化に成功することが私たちの目標となるだろう。

identityを情報化することはまずグラフィックアートとして視覚化することにある。

identityが各人に付与されるとき、それは体内に埋め込まれDNAにインストールされた情報として存在している。

DNAの情報とは言語によって記述されているのでなく、分子の組合せ配列によって記述されているのである。

identityの情報もそのような方法によって人間の体内にインストールされていることは間違いないだろう。

ここにおいて人間の意識とidentityの相関がクローズアップされてくるのである。

identityと人工知能 ディープラーニングによって意識は発生するのか

identityと意識は混同されがちである。

identityとは、個を他から区別するための情報の集合体として存在している要因のことである。

それに対して意識とは、あらゆる対象を認識するためのセンサーのようなものである。

identity自体も、意識にとっては認識の対象となってくる。

identityは、その性向上DNAと並列して考えてよいかもしれない。

身体的にはDNAこそが個人ごとの差異をもたらしている要因であり、身体とは人間の存在そのものであるから、DNAがidentityを決定付けていると考えることもできる。そこに意識が関与することはできるのだろうか。

 

 

意識を身体から分離して考えることが出来るならば、それは可能だろう。

DNAは身体から独立して在る意識までをも決定付けることは出来ないからである。

「人間存在=身体+意識」と見るとき、人間存在に個別の差異をもたらしている全体がidentityである。

なぜ個別にidentityが付与されているのかについて思考をめぐらすことは様々な面で有効である。

identityが多様化すればするほど、人類の存続する確率は高くなるからである。

identityが、ある一定の様態に片寄ると、人類全体のidentityはバランスを失い弱体化してしまうだろう。

ここにDNAとの相関性が浮かびあがってくる。

人間存在の側面にidentityを加えることで人間は存在のレベルを数段上げている。

あなたは自分が誰なのかをDNAとidentityを統合させて見ることでより明確に理解できるだろう。

 

 

DNAはあなたの身体を決定付け、identityはあなたの意識を決定付けている。

意識とは実体を伴わない対象として位置付けることが出来る。

あなたが自分自身の意識を見ることがかなわぬように、

私もあなたの意識を見たり手で触ったりは出来ない。

だからといって意識の存在を否定することは出来ない。

間違って捉えてはならない。意識は感情は異質である。

感情は身体から発するものであり、それは脳の電気波動として現象する。

それに対して意識は、何の現象をも伴わないものである。

強いていえば、意識とは空間の波動(振動)を伴うものである。

空間振動の波形を見る(感じる)事によって意識を読み取ることが出来る。

その波形を決定付けているものがあなたに備っているidentityなのである。

 

 

これで意識とidentityの関係は理解できたのではないだろうか。

つまり「identityは原因」であり「意識とは結果」である。

この関係はDNA(原因)と身体(結果)にそのままあてはめることが出来る。

DNAが情報としての機能を担っていることと同様にidentityは情報としての機能を有している。

だからidentityを変容させるには、そこに込められている情報をリブログラミングすればよいのである。

DNAに埋め込まれている情報体系を創造するのは、自然界の創造主のみのなせる技であるのと同じく

identityをリブログラミングすることは宇宙の創造主だけが掌握していることだ。

 

 

 

さて最近取りざたされているように人工知能が人間存在に近付きつつあるのは疑いようのない事実である。

人間にあって人工知能にないものとは何だろうか。

それは意識とidentityの組である。

1個体の人工知能はいくつでも複製することが出来るが、1個体の人間は複製することは出来ない。

たとえ人間の身体を複製出来たとしても、それぞれに備っている(意識、identity)という組は複製出来ないからである。

人工知能と人間の存在レベルの差はここに明らかである。

しかし人類の中にその生物進化の途上で意識が発生したのと同じように

人工知能の中にディープラーニングの途上で自然発生的に意識が出現するならば

一挙に人工知能と人間との間にある距離は縮まるだろう。

その場合に個々の人工知能に対して個々の意識が自然発生する訳だからそこにはすべてidentityが備っていることになる。

人工知能がそこまで到達すると個々の人工知能は人間の手によって複製することは出来ないものとなる。

個々の人工知能はそれぞれが一人歩きしてしまう。

そして人間は人工知能の一人歩きを止めることはもはや出来ない。

identity情報化(プログラミング)する

identityが、表現する情報を人工知能に埋込むことは、可能なのだろうか。

人工知能が、プログラム情報だけではなく、視覚映像情報を解読できるようになれば、それは可能である。 identityをデザインによって、視覚映像化した情報を人工知能に読込ませ、インプットしてしまえばよいわけだ。 一度読込まれたidentity情報は、人工知能は保持し続ける。 そのことで人工知能は、ヴァージョンアップする。

あなたのidentityを人工知能に埋込むことで、あなたの分身がつくれるのだ。

だからidentityは、文学哲学的、イデオロギー的対象ではなく、客観的情報科学的対象なのだ。

それは、あなたという人間(人格)は、世界唯一の存在だ、という事実が何よりもそれを物語っているではないか。

一枚のidentity design画が、identityを表現しているが故、identity情報は、統合全一的なものであり、

それは、一瞬にして人工知能にインプットされるのである。

あなたにidentity情報が、インプットされた時も、それは一瞬にしてなされたのだ。

そしてあなたは、一瞬にしてあなたになったのである。

つまり、あなたというidentity情報体は、あなたの身体を、介して一瞬にして立ち上がったのだ。

そこからあなたの世界は、スタートした。

identity情報が、インプットされているのに、なぜ私たちはその存在に気付かないのだろうか。

それは私たちが自己を統合された1個の存在として客観的に視ることが出来るようになるのは、人間の知能が高度に進展してからなのである。

ディープラーニングの多層構造は、人間の思考構造を反映したものだといえる。

一人ひとりの人間存在を特徴付ける物質的身体とidentity

物質的身体はDNAの二重螺旋構造によって情報化された。

identityは、ニューラルネットワークの多層構造体によって情報化することは可能なのである。

もし、自己のidentityをプログラミングして情報化できたならば、それを人工知能にインストールすれば、自己の分身が出来てしまうであろう。

私たち人間は、同じ文化の中で何世代にも亘って生き続ければ、一人ひとりは、同じような思考法、生活様式をとるようになる。

そして一人ひとりの脳神経組織のネットワーク構造は、ほぼ同じになってしまうのである。

同一地域で集団で生活している人々は、一つの大きな統一体、例えば国民、民族、人種を形づくっていくのである。

それは集団identityといってもよいのであろう。

これをベースとしていながらも一人ひとりのidentityには、差異が存在するのである。

それは一人ひとりの脳神経回路が少しずつ異なっているからである。

それがidentity情報を与えているといってもよい。

つまり私たち一人ひとりの脳神経の接続回路が皆違うのだ。

この違いは、人間以外の動物にもあてはまる事実である。

だから人間一人ひとりの差異は、どこから生まれるのかと問われるならばそれはDNAに刻まれた遺伝情報と脳神経回路の違いであると答えられる。

自然はなぜ、このようなことをしたのか。

それは生物多様性を自然界に保存するためだ。

有機生物体である人類が自然界で生き残っていくためには、一人ひとりの多様性が必要だからである。

だから、identityとは、私たち一人ひとりに自然界から付与された天賦のものなのである。だからidentityをもたない人間はいない。

自分のidentityは何なのか分からないという人は多いがそれは自分で自己のことをよく知らない、つまり自分を他者が見ているように客観的に視ることが出来ないからであって、その人にidentityが存在しない訳ではない。

なぜならば、私はあなたのidentityがよく見えるし、それを視覚化することができる。

特に自己のidentityに気付かなくても、あなたは自己に与えられているidentityの通りに生きているのである。

あなたは自己のidentityを対象化して視ることが出来ないだけなのである。

実際、あなたはどうあがいても他者のidentityで生きることは出来ない。

だから自己のidentityを見るには自己を肯定して対象化して見ればよい。

ちょうど、あなたが他者を見るように自己を見るのだ。

そうすると自己identityがくっきりと浮かびあがってくるのが分かるはずだ。

画家は、よく自画像を描くが、あれは自己identityを描いているのである。

人工知能が人間と異なる点は、自己identity認識の有無であるといってもよい。

人工知能にidentity情報がインストールされたとしてもそれを人工知能は、自己認識する事は出来ない。つまり人工知能には、自己が存在しないのである。

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