identity designは、ブランドプロデュースに有効か?

きわめて有効であるといわなければなりません。

販売力商品力×マーケティング力×ブランド力

商品力×マーケティング力だけでも、そこそこのラインまでは商品を売ることが出来ます。

しかし、ある一定のレベルに達すると必ず壁にぶつかります。

商品は優れていて、巧みにマーケティングを展開しているのに、どうしても越えられない壁が立ちはだかるのです。

あの一流メーカの商品は、壁の遙か上を超えているのに、商品力では他メーカに優っているあなたの商品はなぜ、壁を超えられないのでしょうか。

それは、あなたの商品にはブランド力が働いていないからです。

商品を飛躍的に販売し普及させるためには、ブランドをプロデュースする必要があるのです。

ブランド力が働きだせば商品は自動的に売れるようになります。

3つの力は、相乗効果を生み出し強力な販売力となります。

上の算法が加法()ではなく、乗法(×)であることに注目して下さい。

どれか1つの力だけでも2倍になれば販売力2倍になり、3つの力がいずれも2倍になれば販売力は、2×2×28倍になります。

しかし反対の効果も発生し得ます。

3つの力のうちの1つが半分になれば販売力も半分に落ちてしまいます。

商品力マーケティング力に注力してもブランド力に注力する人は、多くはありません。

商品力マーケティング力を強力にすることは取っ付きやすいのですが、ブランド力は曖昧で漠然としていて、すぐに効果が発現する力ではないことから取っかかりにくいのでしょう。

「ブランドプロデュースに投資するくらいなら新商品開発に投資する方がまだましだ。」と考えてしまいがちです。

あなた自身が「商品を購入した理由は、何か?」と、振り返ってみればお分りになるはずです。

その商品があなたにとって大切な存在であればあるほどブランド力は大きな作用をあなたに及ぼします。

このブランドの商品ならば間違いないと安心して購入するはずです。

長い間の信頼と実績を勝ち得ていないとブランド力を発揮することは出来ません。

しかし、長い間 消費者に商品が受け入れられてきたならば自然にブランド力が強くなるのかといえば、決してそんなことはありません。

あなたのブランドを視覚化する存在が必要となるのです。

identity designは、あなたのブランドを視覚化する上で大きな力となってくれます。

ブランドをプロデュースする上で最も重要なポイントは、ブランドへのあなたのマインドセットなのです。

ブランディングによって一段上の成長を遂げたいとお考えでしたら、ブランドへのあなたのマインドをブランドを視覚化することで消費者に表明することです。

視覚化されたブランドは、あなたの硬い決心を消費者に伝えてくれます

なぜ多くの消費者は、海外の著名ブランドの超高級な商品を躊躇することなく購入するのでしょうか。

そこには強力なブランド力が働いているからです。

価値が高いほど、著名ブランドの商品は消費者を引き付けます。

何故ならば ブランドの約束が、その高価格にウソ偽りが無いことを証明しているからです。

ブランド力が弱いのに価格ばかり釣り上げても消費者は、疑ってかかります。

この商品がこんなに高価値なはずがないと、端から信用しません。

ですから たとえ安価であっても無名ブランドの商品を消費者は手に取りたがりません。

ノーブランド商品を購入して裏切られるくらいなら、高額でも有名ブランド商品を購入した方が、得策だと考えているからです。

identity designとブランド力との関係についてこれからお話しましょう。

消費者が、あなたの販売している商品が他のブランドの商品ではないことを見分けるには、

どうすればよいでしょうか。

まず 商品にあなたのブランドのマークが付記されているかどうかを見ます。

商品自体に付記されていなければ商品のパッケージにマークが記載されているかどうかで見分けます。

ブランドの区別は、商品にあるマーク(エンブレム)で行われる訳です。

例えば見たことものないようないびつな形のバッグであっても、そこにエルメスのエンブレムが貼付けてあればエルメスのブランドをそのバッグに認識するわけです。

商品ブランドを識別する上で重要な役割を果たしているエンブレムにidentity designは大きく関わってくるのです。

マークというと、社名をちょっとひねったり変形させたりして図形化したものが、大多数のようです。

社名は、あくまで会社の名前であってブランドを表現した言葉ではありません。

ブランドを言葉で表現しているマークを多く見かけますが、言葉で表現してしまうとブランドの表象が狭い意味に限定されてしまいますので、あまりお勧めできません。

確かに言語での表現は、シンプルで分かりやすいかもしれませんが、ブランドが限定的なものに留まってしまいます。

時間の経過とともにブランドは成長・拡大するものですので、限定的なものに留めておかない方がよいのではないでしょうか。

ですので 少し見方を変えてブランドidentityという概念を提示いたしましょう。

ブランドにidentityをもたせるという思考は、かなり有効となります。

これはブランドの人格化といってもよいでしょう。

ブランドにidentityを持ち込むことでブランドを人格化していくのです。

あなたのidentityをブランドに入れ込んでも構いません。

またあなたが思い浮かべる特定のidentityをブランド化してもよいでしょう。

そうすることでブランド表現はより先鋭化していきます。

このブランドパーソナライズという手法はあなたの商品に力強い生命を吹き込みます。

そうすることで商品は、生き生きと輝き出し、消費者の心にブランドidentityが働きかけるようになります。

あなたのブランド商品を消費者に認証させる手っ取り早い手段は、商品にidentityマークを付着させることです。

マークといっても社名の一文字を取って、それを歪ませたり、捻ったりしてデザインしたものではなく、

ブランドidentityの表象になっていることが求められるのです。

あなたが新しい商品を開発したならば、新商品の高機能を消費者にアピールするのはもちろんですが、11個の商品にあなたの生命を吹き込んで下さい。

あなたがあなた自身であるように、1個の商品はその商品自身なのです。

そうすることで商品の存在レベルはアップするはずです。

その商品を手にした消費者に訴え掛けるものが違ってきます。

確かに、高機能でよい商品であることは消費者も納得するでしょう。

しかし、それで即消費者の購買につながるかといえばそうではありません。

購買に至るにはもう一段の何かが必要となります。

その何かとは、商品が消費者の心に訴えかけるものです。

消費者のマインドにブランドイメージが芽生えていれば商品はそこにアクセスしますので、消費者の心に訴求するのは容易くなります。

そうすると商品は、消費者の心に刻印を押すことになります。

一度押された刻印は、そう簡単に消すことは出来ないので刻印が押されるまでが勝負となるのです。

ブランドの刻印は、どのようにすれば押すことが出来るのでしょうか。

まず刻印をブランドのマークとして視覚化します。

そしてマークを商品に刻印するのです。

ブランドの刻印はマークとして消費者の心にも刻まれることになります。

いわばブランドマークを介して商品と消費者の心が接しているようなものです。

それだけにブランドを表象するマークは重要であり、一度目にしたら忘れられないくらい特徴的でなければなりません。

あなた自身の心の中を覗いてみてください。

そこにはブランドの刻印はいくつ押されているでしょうか。

あなたが陶酔しているブランドは何でしょうか。

今あなたがプロデュースしようとしているブランドを多くの消費者の心の中に育成するのはそう容易いことではありません。

しかし あなたが本気で商品を世に広めたり、人々に普及させたいと願っているのならば、ブランドをプロデュースする必要があるのです。

アップル社は、世界中にアイフォンを普及させるために、長い間ブランドをプロデュースしてきました。

人工知能AIにブランドを理解させるのは難しいでしょう。

なぜならばAIには心も感情もないからです。

このことからもお分りのように、ブランドとは人間の心と感情にだけ作用する因子なのです。

AIと人間との差異を表現するものとしてブランドが理解できるか、できないかがあります。

あなたの商品を購入するのはAIではなく人間だということをあなたは認識していなくてはなりません。

ブランドを創り上げる上でベースとなるものは、消費者の心と感情です。

それらをないがしろにしていてはブランドのプロデュースなどあり得ないでしょう。

ですから あなたの商品ブランドの中にあなたのidentityを見ることが出来るのです。

identityをデザインすることは、ブランドをデザインすることに繋がってきます。

identityを視覚表現するデザインは、ブランドの表現に適用できます。

identityをブランドの中に吹き込んでいくと、そのうちにブランドが人格を帯びるようになります。

これが先程述べたブランドパーソナライズという現象です。

ここまで来るとブランドパーソナリティは、あなたの分身のように振る舞います。

あなたのidentityとブランドは、シンクロして共時的成長を遂げるようになります。

あなたが成長すればブランドはそれにシンクロして成長するようになります。

ブランドが、築かれたといって安心してはいけません。

ブランドは、生きていると思った方がよいでしょう。

生物がいつ死ぬか分からないようにブランドもいつ死に到るかは分かりません。

経営者は自社の商品ブランドが生きているのか死んでいるのか常に意識していなくてはなりません。

ブランドが死んでいたのならば直ちに蘇生させてください。

死んだブランドに新たなidentityを吹き込むと、ブランドは息を吹き返します。

ブランドにとってidentityとは生命エネルギーを与えてくれるようなものだからです。

ブランドを視覚化したものがidentityマークであるといっても過言ではありません。

ブランドプロデュースにとってidentity designは、有効どころか無くてはならないものです。

優れたブランドを創り上げることは長い時間を要します。

それは、レンガを11個積み上げて高い壁をつくることに似ています。

ブランドの場合は、消費者の心の中に1個ずつレンガを積み上げていくことになります。

そのためにはまず、消費者の心の中に入り込まなければなりません。

消費者の心のバリヤーを溶かしてくれるものがidentity design なのです。

消費者は、identity design を見ているうちに、いつのまにかそれを心の中に受け入れるようになります。

いわばレンガを積み上げる土台が築かれる訳です。

それから11個積み上げていくことになります。

気がついた時には壮大な壁が築き上がっているでしょう。

あなたが苦労して積み上げたレンガも何かのきっかけで一瞬にして消滅することがあります。

心の中のレンガ壁は、現実に存在しているものではないからです。

積み上げるのに長い時を要しても、消えるのは一瞬です。

築き上げたからといって安心してはいられません。

少しでも強固なものにしていかなければなりません。

壁に穴があけば一気に崩れ去ってしまうかもしれません。

マーケティングをする際に注意しなければならないのは、その点なのです。

あなたが、せっかく築き上げたレンガの高壁を誤ったマーケティングが壊すことがあります。

ブランドの壁を壊すようなマーケティングを展開してはなりません。

最初に提示した、販売力を因数分解した式は、商品力ブランド力マーケティング力の三つの力の因数から成り立っています。

これらの三つの力のバランスを取ることによって販売力はずば抜けた大きさとなります。

三つの力の内、突出した力があれば、他の力も引き上げてバランスを取ることです。

このようにしてあなたの一つ一つの商品について強大な販売力を培っていただきたいものです。

 

identityを再構築する

現在、あなたが付随するところのidentityはいつどのようにして構築されたかお分りだろうか?

人間は、それぞれのライフサイクルに従って人生の中で何回もidentityを構築する。

identityは、自己の意志によって構築されるのであって、他者の手によって構築されるものではない。

しかし、自己の意識だけでidentityを構築することは困難なことが往々にしてある。

そのような時は、他者にコーチングしてもらうことでidentityの構築はよりスムーズにいく。

もし、あなたが人生の道に迷ったならばidentityを再構築することだ。

そうすることで、あなたが歩むべき道は、再びあなたの視界に入ってくるはずだ。

人は、誰しも自己のidentityという道を歩いている。気がつかなくても、無意識の内にidentityの道を歩いているものだ。

そうでなければ人は、人生を思う通りに生きることはできない。しかし、道は最初から最後まで一本道であるとは限らない。

途中で分岐し、途切れることもある。

その時にidentityを再度、構築するのである。

例えば、長年会社勤めをしてきた人が定年を迎えると、仕事というidentityの道は、そこで途絶えてしまう。

その時に新たなidentityが構築されなければ何のために何をして生きていけばよいのか分からなくなり、

たとえ時間が有り余っていたとしても生きていること自体が苦痛になってくる。

人生をより長く生きていくためにはライフサイクルの変わり目にうまく適応することが必要になる。

そのためには、先の方にあるidentityの途切れを早くから見ていなければならない。

若い時には自分のidentityはずっと続くと考えてしまいがちだが、identityの途絶えは意外と早期に訪れるものだ。

人生が短命だった時代は、一回きりのidentityしか生きられなかったが、

人生が長期化した現代では、何回ものidentityを生きられるようになった。

 

 

一つのidentityが終わり、次のidentityを迎えた時、

前世から生まれ変わったように考えて新たな生に向かえばよいのではないだろうか。

一回の人生の中で、何かの生まれ変わり、つまり転生を経験するのである。

転生を経験するとはいえ、あなたの中で自己が入れ替わるわけではない。

あなたは、依然としてあなたのままだ。

では、なぜ人生における輪廻の中で何回も転生しなければならないのか。

それは、identityという煩悩に取り付かれているからだ。その煩悩を捨て切ることが出来れば、あなたは人生の中で何回も転生しなくてもよくなるだろう。

しかしidentityを捨てたなら人生の道に迷ってしまうのではないかと悩むかもしれない。

先程の話と食い違っているではないかと反論されるかもしれない。

実際には人生には、道など無いのであって存在するのは永遠につづく平原なのである。

たいていの人は、平原を見ることは出来ないもので、見えるのは、木の生い茂った深い森だけだ。

それは、人生の森と呼んでいて、ほとんどの人は深い森の中に迷い込んでしまう。その中で自分の道を必死になって探し求める。

その森こそが人間の煩悩が生み出した幻だということも知らずに。森から抜け出るには、上に向かうしかない。

つまり意識の次元を上げるしかないのだ。意識の次元を上げることで煩悩の森は、一瞬にして消滅してしまう。

そこに見えるのは、何もない平原だ。そうすることで、本当の輪廻から解脱出来るのである。

 

このようにidentityという概念は、宗教における古来の概念“輪廻転生”に結び付いてくるのである。

意識の次元を下げると深い森の中につづくidentityという1本の道が見えて来るが、

意識の次元を上げると森は見えなくなり、限りなく続く平原が見えるようになる。

深い森の中では、1本の道しか歩くことはできないが

平原の上ではどちらに向かおうと自由に歩くことが可能だ。

つまり平原を歩くときは道など必要なくなる。

先程identityは、煩悩だと表現したが、identityは人間の心の中に執着を生み出すからだ。

あらゆる執着を捨て去ることで煩悩の森は消滅してあなたは平原の上に立つことになるだろう。

その時にあなたのidentityは無くなったのかといえば決してそうではない。

平原上のすべての面があなたのidentityに変化したからだ。

つまりあなたのidentityは、線から面へと拡張したことになるのだ。

あるいは一次元から二次元へと高次元化したといえるだろう。

AIの出現によって、地球における人類の存在意義は、稀薄になるのか

AIの出現は、人類の存在意義を変質させる可能性を充分に秘めています。

AIは、人類がかつて経験した狩猟採集生活から農耕生活への移行がもたらしたくらいインパクトのある変化を人類史にもたらすでしょう。

個々の人間は、目の前にあるAIと対峙することによって、自己同一性を強く意識せざるを得なくなります。

これまで自己のしてきた行為の一つ一つをAIが代行することによって、人間は、種々の行為から解放されるようになります。

かつて人類は、農耕の出現によって狩猟採集から解放されました。

人類は、次に何を行ったでしょうか。

農耕によって実現された大規模な社会の形成は、そこにおいて経済活動をすることを人間に余儀なくさせました。

複雑化した社会は、複雑な経済活動を一人一人の人間に生きていくために強いていったのです。

一人一人は、社会の中に自己の存在意義を見い出そうと必死になって活動していきました。

Identityにさからってでも人間は、社会における自己のポジションを競争獲得していったのです。

そしてそれは職業の名の下、経済活動として必要にせまられたのです。

一人一人が社会の大きな渦に飲み込まれ、自己を見失わざるを得ませんでした。

それは、まるで荒野の中を迷える子羊の如く、社会の中で右往左往するのでした。

一人一人は、社会の藻屑として生きていく他はなくなったのです。

しかしAIの出現は、人類をその背に重くのしかかった経済活動から解放させ、人類の生活を一変させる可能性を秘めているのです。

将来は社会そのものをAIに代替運営させることも不可能とはいえません。

AI社会がもし現出したとするならば、人間はそこにおいてどのように立ち振る舞えばよいのでしょうか。

プログラム通りに動くAIが運営する社会には整合性が組み込まれ、AIが誤作動を発生させない限り完全な社会が実現するでしょう。

人間は社会においては、AIよりも劣る存在として社会の周辺部に追いやられていくことでしょう。

自ら経済活動を行う必要のなくなった人類は、次に何をするでしょうか。一人一人の人生が変質してしまうことは、疑いのないことです。狩猟(びと)が農耕(びと)になり、そして社会(びと)になることで人間の生涯は、大きく変質してきました。

次に人類は何(びと)になるのでしょうか。

私たちの人生を構成している大きな要素は、時間と経験です。

経験の中身は、大きく3つに分類できます。

それは、学業的経験、職業的経験、レジャー的経験です。

年齢と共にこの3つの経験の占める比率は、変化していきます。

AIの出現によって、この比率が大きく変化することになります。

私たちの生活は、がらりと様変わりすることになるでしょう。

一人一人の人生が変貌すればそれに伴って人類が地球上に存在する意義も変貌します。

経済活動をAIに代替させた人類が向かっていく先に、どのような未来が待ち受けているのか想像することは、それほど難しくはないでしょう。

人間が生きていく上で経済活動はこれまで足かせとなってきました。

今その鎖がAIによって断ち切られようとしているのです。

AIは、人類の科学的知の集積ともいえるものですが、AIが自らの頭脳によって学習を始めたとき、それが人間の知能を超越してしまうことは、もはや阻止できないでしょう。

AIを搭載したサイボーグが出現した時、人類は彼らにどのように対峙していくのか、過去に類を見ない戦いが始まる可能性があるのです。

AIと対峙していると、私たちは人間であることのIdentityを意識せざるを得なくなります。

 

 

人間のIdentityとはいかなるものなのでしょうか。

これまで真剣に考えたことがない人がほとんどではないでしょうか。

それは私たち自身が人間である事実を当然のことのように考えているからです。

自分が石や岩ではなく、なぜ生命体なのか。

自分が植物やウイルス、細菌ではなくなぜ動物なのか。

自分が魚類や両生類や爬虫類や鳥類ではなく、なぜ哺乳類なのか。

自分が、ゴリラやチンパンジーではなく、なぜ人類なのか。

これは、たいへん深い問題であり、しかも意義のある事実として認識されなければならないのです。

その意味でAIは、人類への回帰を私たちに促してくれるでしょう。

人類としての自己に同一化していくことが、これから私たちの上で起こる大きな変化となります。

どこそこの国民であるとか、どこそこの人種、民族、宗教で、自分たちを分類するのではなく、大きく人類の枠組みで捉えることが私たちの思考の上で求められることになるでしょう。

つまり自分がAIであるか、それとも人類であるかが、まず重要になってくるのです。

AIは、そのことを私たちに教えてくれる存在なのです。

この捉え方ができなければ人類は存亡の危機に見舞われるかもしれません。

私たちが人類のIdentityに目覚める瞬間が、刻一刻と迫っています。

小さな枠を取り払って大きな枠組で考えることは、人類に再生を促すでしょう。

人類の存在意義は稀薄になるどころか、クリヤーになり純粋になっていくはずです。

その上に立ち、私たち一人一人は、各々のIdentityを組み換えざるを得なくなるかもしれませんが、それこそが私たちが希求していた本来のIdentityなのです。

それをそれぞれが手に入れた人類個は、お互いに強力に結びつきまるで一個一個の原子が物質体を構成するかのごとく人類という一つの大きな塊を形成していくのです。

そして一つの塊となった人類は宇宙空間において大きな進化をとげることになるでしょう。

AIがもたらす人類大進化の波は、もはや止めることが出来ないくらい大きくなってきているのです。

アイデンティティデザインと
プリミティブアートとの相関

プリミティブアート(原始芸術)とは、未開社会に於いて芸術家が芸術理論に照らし合わせることなく芸術的センスの赴くままに自由に作品を創りだす芸術的営為である。

未開社会は芸術的な歴史を経ていないが故に私たちは彼らが創り出す作品に芸術的な意味付けを行うことは出来ない。

それ故それらの作品を私たちの芸術的モノサシで評価することは無意味となる。

つまり彼らの作品は、ダイレクトに感覚で読みとるしかないのだ。

プリミティブアートは芸術家の心から湧き出るエネルギーがその原動力となって創作活動は行われる。

そして作品は芸術家のアイデンティティというフィルターを通して出力されるのである。

そこには他の芸術家のアイデンティティが入り込む余地はない。

プリミティブアートの作品には芸術家のアイデンティティの織り成す紋様がピュアに浮き出ているのである。

まさに芸術家自らが行うアイデンティティデザインだ。

プリミティブアートの作品にはその芸術家のアイデンティティの情報が読みとれる。

そればかりかそれらの作品は未開社会のアイデンティティが基底となっているのである。

例えばアフリカに於ける未開部族にはそれ毎にアイデンティティが付与されていて彼らが織り成すアートにはそれらが色濃く反映されているのが分かる。

つまり部族ごとにアートが異なってくるのだ。

部族ごとにアートに差異があるとはいえ、それらのベースにはアフリカ大陸というさらに大きなアイデンティティが作用していることは否めない事実である。

部族毎の異なるアートにもアフリカという共通項が存在しているのだ。

彼らの描くタブローあるいはクロッキーには自然とアフリカアイデンティティが滲み出ることになる。

アフリカとは人類の原点であり、人類がこれまで歩んできた旅の出発点なのだ。

だからアフリカに回帰することで人類のアイデンティティが見えてくるにちがいない。

日本列島における未開社会ともいえる縄文社会において創作された芸術作品はアフリカプリミティブアートに類似している。

この事実がそのことを物語っているのではないだろうか。

縄文芸術を見るとプリミティブなエネルギーが発せられているのを感じ取ることができる。

土偶に見られる空飛な形状には“未開”というよりも“前衛”という言葉が当てはまるだろう。

時代を逆行しているのになぜ前衛になってしまうのか。それは既成の芸術概念の枠組におさまりきれないが故にそれらは私たちの目には前衛と映るのである。また、それは時代を経るごとに人類の意識は自由度が低がっているからに他ならない。

その中でもアフリカ未開社会は時代を経ていないが故にそれらの部族は意識の自由度が保たれているためにプリミティブな前衛芸術が可能なのだろう。

社会が進歩するほど人間は心の自由度を失ってしまうという逆説が成り立ってしまうのは私たちに重要な真理を突き付けているように思えてならない。

そのことを最も端的に表していることが現代人の頭脳は、人口知能に組み込まれたプログラムに置き替えることが可能となった事実であろう。

これを逆に捉えると現代人の思考は既にプログラム化されてしまっていることが分かる。

現代人にとって必要な思考とはプログラム化が不可能な思考である。

例えばパターン化され現代思考の枠組から飛び出した創造的思考である。

 

マーケティングが主役の現代においてデザインの役割は縮小したのか?


マーケティングの技術革新が急速に進むながで、ある手法で成功を修め、一時的に過大なる売上げを得たとしてもそれが持続するとは限らない。

あるひとつの卓越した商品を販売するためにマーケティングの技術は大いに役立つ。

デザインでマーケティングの代役ができるかと問われれば否と答えるしかないだろう。それだけマーケティングとデザインとは役割が異なっているのである。

それでは主役はどちらなのかと問われるならば残念ながらマーケティングと考える人の方が多いだろいう。デザインは脇役なのである。

ホームページを利用したインターネットマーケティング、あるいはダイレクトメールや広告を利用したダイレクトマーケティング等は、技術的な進化を遂げている。それでもテレビCMやパンフレット、ポスターなどにはいまだにデザインの力が息づいている。しかし日本の市場に於いては

アーティスティックなデザインは、あまり見かけなくなったのが現状だろう。

マーケティングに浸食されてしまっているからである。

日本企業のホームページは、マーケティングが優先されていてスペシャルにデザインアップされたホームページは、ほとんど見られないようだ。

ホームページの構造も皆、似たりよったりで型にはめられたものばかりである。他の企業のホームページを拝借してきて名前を差し替えただけのようなホームページばかりで、どれがどの会社のホームページなのか、印象に残るものは少ないといえる。それだけにホームページの役割も改めて問われるべきだろう。いうなればアイデンティティが表出されていないホームページが大方の所なのである。

このような時代だからこそ、敢えてデザインの役割をクローズアップしてみたいのだ。

デザインとは一体何のために存在するのか?

洗練されたシンプルなデザインは、見た瞬間、眼を釘付けにするものであり、その感情に言語表現の入り込む余地はない。

つまりデザインを見たときと文字を読んだときとでは、使われる脳が全く異なるのだ。

だから本来デザインに言葉は必要ないといえるが、デザインによく練られたコピーが一言付け加わっていれば相乗効果が得られるのも確かである。

それはある意味メロディと詞の合体した歌と同じように考えてよいのかもしれない。

純粋な芸術(アート)としての絵画に言葉がないように純粋な音楽にも詞は不要なのだ。

デザインや音楽は感覚的表現であるし言語は理性的な表現である。だからデザインを感じるためには感性が研ぎ澄まされていなければならないし、言語を理解するには理性が充分に働かなくてはならない。大自然の中に身を置いたとき、そこに存在するのは、自然界の映像だけであり、そこには言語は無い。そこは完全なるアートの世界である。それだからこそ自然界に身を置いていると理性よりも感性の方が研ぎ澄まされてくるのだ。

マーケティングは理性に訴えかけるもであるから、それは言語によってなされる。その意味では感性よりも理性の方が主役の時代だともいえるだろう。

アイデンティティデザインとは感性によって直感的にとらえて、それを理性へと受け渡すものなのである。

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